2018-04-11 第196回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第4号
昭和二十九年に洞爺丸事件が起きまして、二年後に多目的ダム法というのができたんです。そのとき先輩たちは、台風がどこにいるか分からない、どこに行くか分からないという前提で、洞爺丸事件のダメージを受けていましたので、その二年後に作った特定多目的ダム法というのは台風がどこにあるか分からないという前提で作ったんです。ですから、このダムに必ず今年百年の洪水が来るぞという前提なんです、全てのダムが。
昭和二十九年に洞爺丸事件が起きまして、二年後に多目的ダム法というのができたんです。そのとき先輩たちは、台風がどこにいるか分からない、どこに行くか分からないという前提で、洞爺丸事件のダメージを受けていましたので、その二年後に作った特定多目的ダム法というのは台風がどこにあるか分からないという前提で作ったんです。ですから、このダムに必ず今年百年の洪水が来るぞという前提なんです、全てのダムが。
ですから、私は、先ほど言いました洞爺丸事件があったので、そういうものの安全から見たんですけど、もうちょっと上げたっていいんじゃないかと、台風が来るのは一週間前から分かるんだからというような意見を申し上げました。
だから、洞爺丸事件というのを皆さん御存じだと思いますけれども、あのときは、台風がどうやってどこへ行くかとか、どれだけ雨が降るかというのはわからなかったわけです。だけれども、今や、どこへ行くかというのもわかるし、雨がどのぐらい、一時間にどれだけ降るかというのも相当精緻に予測できるようになったんです。
人柱、古い言葉ですが、瀬戸大橋にしてもこれは紫雲丸事故があったからだ、青函トンネルは洞爺丸事件があった。 この能村さんが言われるのは、今三木さんが言っていましたけれども自分で考えなきゃいけないということからすると、この人は戦後事業を継承したときに台風によって水をかぶってしまって、大阪でしょう、太陽工業は。
○国務大臣(橋本龍太郎君) 洞爺丸事件あるいは紫雲丸事件、こうした事件によってその当時の世間がいかに大きな衝撃を受けたかを今も私も記憶をいたしております。
とうとい工事関係者、人命の犠牲をも伴いながら、たゆまぬ工事関係者の身命を賭しての取り組みが今回の完成に至ったのでありますが、北海道民、青森県民は、悲惨な洞爺丸事件に思いをはせながら、一日も早い新幹線のトンネル通過を期待して見守ってきたのであります。 この時点に立って中曽根総理、これを建設した鉄建公団総裁の所感を承りたいと思います。
ただこれは、思い起こしていただきたいのは、昭和二十九年の洞爺丸事件のときに、早速国会では安全対策のためにトンネルを掘ることが決まったんですね。昭和三十二年五月、衆議院の本会議で決議をされて決まったものであります。したがって今のように経済問題ではない、まず安全問題です。安全問題であれが決まって、そして二十年の歳月を経てトンネルができました。
○藤原房雄君 洞爺丸事件に象徴されますように、多くの方々の人命を失うようなことがあってはならぬということも中にあったわけでありまして、均衡ある国土の発展ということから、これは是が非でも本当にこの有効な活用、地域の大きな発展のために資するような方途というのを早急に決めてもらいたいと思うのです。
その当時は、国鉄の輸送量、貨物も含めて大変本州-北海道間は多かったわけでございますし、また例の洞爺丸事件等がございまして、どうしても本州-北海道間はトンネルで結ぶんだという前提で仕事が始まったという、これはもう先生御承知のとおりでございます。 しかし、ここに来て世の中が大変変わって、鉄道の輸送量等も自動車、航空機等との競争で大変輸送量が少なくなったということも、覆い得ない事実でございます。
その他の三隻につきましては、これはただいま申し上げました洞爺丸事件裁決の第二点、第三点については同じでございますが、船長の判断につきましては、いずれも多少先ほどの洞爺丸の船長の出航判断とは違ったニュアンスでその原因をあらわしております。 以上でございます。
洞爺丸事件、われわれの先輩のとうとい生命も失った洞爺丸事件のこの荒波の津軽海峡、ここにまた原子力船「むつ」を定係させるという勇ましい人も出てくるが、おやりになるというのならしようがないかもしらぬが……。 まず、外務省に、私は無知なもんだから聞かしてもらいたいが、公の海、公海にこの種トンネルは世界にはないね。一つだね。
これは大臣も長年の理想としておった貫通でございますが、いま言ったように、われわれの先輩が洞爺丸事件ということで痛ましい事件もありました。うちのおやじも乗船名簿に入っておった。河上丈太郎一派で札幌から来るところでしたが、うちのおやじの生家は余市なものですから、幸い墓参のおかげで助かった。菊川先生、冨吉先生方が犠牲になった。
その上に、洞爺丸事件といって大ぜいが遭難され、その中にわれわれの先輩の代議士もあったという。私は東北ですから、北海道は内地と言う、沖縄は、日本を本土と言う。そういう中からとにかくあれを着工して、今日まで十九年。それに、私は二回中に入ってみたことがある。すばらしい技術だと思いました。そして、あれができ上がった暁に、働いていた諸君が涙を流しながら、テレビで本当に涙を流しながら喜んでおる。
皆さん御承知のように、昭和二十九年の洞爺丸事件のときの台風で北海道の立木が全部倒れて、百台のチェーンソーが日本に上陸したということからこれが始まるのでございます。 なぜ予防に力を入れたかというと、言いたくはないのだが、政府の方で自主的にきわめて良心的に自然と予防に力を入れるようになったのじゃない。やはりこういう集中審議なんかをやっているおかげで、いわば委員会がやかましいからだ。
船舶関係の要員需給といいますか、例の洞爺丸事件が起きまして一時に多くの船舶職員が死亡したわけでございますが、その後の要員の需給関係を見ておりますと、高級船員職員のほうは百八十五名の補充をしておりますが、一般職員の場合は百十二名で、実務に参加する船舶職員のほうが少ない。このことはきわめて不合理ではないのか。
洞爺丸事件やら木星号事件が当時ありました。十二月から自動車損害賠償の最高限度が三十万になっておりますね。そういうものとは全然性質が違うのですが、二十五万になっている。 これについて非常に安いという指摘が、たとえば大橋武夫先生、いまなおおられますが、この方なんかも盛んに言われておる。そうすると、あなたのほうは何と言っておるのですか。
これは洞爺丸事件でも非常に明白になっておるように、大きなものでもあるわけです。そういうわけで特に安全対策が大事だと思うのですが、いまカーフェリーというものをとらえてそれに対する特別な安全対策というものをどのように考えておられるか。考えておるならばどういうふうに扱っておられるか、それを簡単でよろしいからお答えいただきたい。
それから、アメリカのほうが洞爺丸事件で請求を放棄していると申しますか、していないという状態であることは、先ほど私も触れた点でございますが、それがあるので、その態度と相殺する考え方で現在のような主張をしているのであるとは私は考えないのでありまして、やはり基本が、国鉄というものの性格を純粋な国家機関と見る、こういう角度に立っているのが先方であり、しからずとするのが当方の立場であり、その立場の相違からきている
昭和二十九年九月の洞爺丸事件では、千五十二名の死者に対して、最高六百万円、最低七十万円、平均百六万円が支払われております。 こういうふうに、法案の審議された前後あるいはその後数年間に起きた事故に対しての生命に対する金銭賠償のこの数字から見まして、当時七万円という数字がいかに非常識であったかということを私は考えて主張したいと思います。
それからなお申し上げたいのは、二本立てと伺いましたときに、理屈を言うようですけれども、万々一洞爺丸事件とか紫雲丸事件のようなことがありましたときに、責任の所在、区分が不明確であります。そこで、これは公団に伺いました。そうすると天災ではないのだという返事であります。
これはかって洞爺丸事件に、青函連絡船の中で汽車に乗ったまま多数の人間が死亡なさったというような事故がございまして、その後われわれは行政指導によりまして、フェリに乗った場合にはバスの旅客は一応船外に出られまして航海していただいたというように指導はいたしております。しかし、なかなか多数の旅客のことでございますから、それが実行できないで悩んでいるというのが実情でございます。
○江藤智君 なぜ聞くかといいますと、たとえば鉄道の連絡船のような場合も、これはかって寝台車を航送した場合もあるけれども、洞爺丸事件以後、一応やめました。
最近の実態を見ましても、昭和二十九年の台風十三号による洞爺丸事件のあった悲惨な災害、静岡県伊豆山ろく一帯の大災害、伊勢湾台風、九州一帯の常襲災害、さらに新潟の大災害、北海道の冷害、二十号台風、八月、十月の長雨等々、大災害の連続であります。